『家内安全』『煙突の見える場所』『二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)』を観た2020-11-1

 6時 起床。なんだかだるい。ネットサーフィンして目を覚ます。

 8時 リビングへ。朝食を摂りながらTV。

 11時 出発。シネマヴェーラ渋谷へ。

 12時45分『家内安全』上映。かなり寝た。

 14時35分『煙突の見える場所』上映。後半に少しだけ寝た、前半の布団での和解からの赤ちゃんが来て上の二人が動き回って〜まではノれたけどなんかダメだったな、煙突自体もそこまで強調される訳でもなく添え物程度の演出で......俳優はかなり豪華、体調が悪かったから仕方ない。

 16時40分『二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)』上映。かなり面白い、これの為に集中力を温存していたのかもしれない。

 この音は、リズムはデュラスの脚本の賜物なのか、それともレネのスタイルなのか。ブレッソンのようでもあるが、彼のような省略の演出は見られない。二人の会話が続き、ふっと画面が暗くなり、またシーンが始まり_

 冒頭、広島の原爆資料館や街、映画『ひろしま』のシーンが二人の会話に重ねられるのだが、シーンをそのままそっくり持ってきただけなのに見事にレネの映画に仕上がってしまう、これぞ作家性というものなんだろう。ゴダールともまた違ったコラージュで、レネがフレームに収めるもの全てがレネの色に染められてしまうような__。

 印象的なのが映画撮影のシーンで、二人はデモを眺めている。観客は動かずデモを見つめているが、彼ら二人だけが動いている。そして音、二人の会話はくっきり聞こえる、それは『ラ・ポワント・クールト』のように。ノれたもん勝ちの映画。

 バーで彼女の過去を告白するシーンで何故か増村保造の『くちびる』を思い出した。

 一つ引っかかったセリフがあって反芻していたのだけれど忘れてしまった、バキバキに目がキマっていた筈なのに、帰りにジュンク堂でシナリオを読んだのに忘れてしまった。忘却がテーマだけれどもこうも簡単に忘れてしまうものなのか。

 帰りに色々デュラス関連の書籍を物色したけれど、『私はなぜ書くのか』がかなり面白かった。ゴダールとの対談にしろ、デュラスのインタビューは、声にして発された言葉は何故こうも面白いんだろう。

 半分も理解出来ていないだろうけれど読み進めるその姿勢も肯定されていた。

「科学と同じように着地点がわからずとも進むこと」みたいな。

 図書館で明日借りてくる。

 21時 帰宅。入浴してF1を観ながら夕飯。

 0時 ネットサーフィン開始。しかしさっさと寝て散髪だとか色々忙しいぞ明日は早く寝なければ。