勤勉であること 2020-11-7

 12時 起床。10時間は寝たろうか、だるい。

 13時 リビングのテレビが映らない。録画は再生出来るので『タモリ倶楽部』を観る。大して美味しくも不味くもない冷凍パスタを食べる。栄養補給とはまさにこの事である。

 14時 父がテレビの配線を弄るといとも簡単に直してしまった。流石理系なだけある。録画した『お笑い園芸館+』100回記念SPと『フランケンシュタインの誘惑』アルフレッド・ノーベル回を観る。

 16時30分 散歩ついでに図書館へ、『静かなる男』『甘い生活』を返却し『学校III』『フェリーニの道化師』を借りる。近所のどデカい公園を目指して歩く。

 17時30分 真っ暗な野原の中央からNiziUの音楽が聴こえる。乏しいスマホのライトのみでTikTokの撮影をしているようで、遠目に見る限り明らかに光量が足りていない。

 17時45分 勤勉である__なんと素晴らしい言葉! 一言で業を肯定している。

 人は俗っぽい生き物でありながら、それを隠さんとする。落語が時代を跨ぐのはこの滑稽さがいつまで経っても治らないからで、コロナよりも余程酷い病気である。人はその病を『勤勉』と名付け、抵抗するどころか礼賛してしまった。開き直ってしまったんだね。

 夜の公園には犬の散歩かランニングしに行くのが関の山で、果たして僕のようにただ散歩、歩行のリズムを楽しんでいる者が果たしてどれだけ居よう。

 いや、彼らも僕と何ら変わらない、ただ散歩をするとして外へ出向くか、自分は健康の為にランニングをするぞ、面倒だけれども犬がしつこいので__と包み隠してしまうか、そうでないかの違いでしかない。

 バイトに出る頻度が減り、暇になった今だからこそ判る、労働がかなり俗っぽい運動だということに。主婦がパートに出るのも、夫がキャリアアップを目指すのも家に居るのが苦痛で仕方がないからで、じっとしているのが嫌で嫌でしょうがないのだ。

 18時10分 さっさと結婚して主夫にでもなりたい。適当にバイトをして、家事をこなして__今と何ら変わらぬ生活を少しでも延命させる為、そして思考を、散歩を捨てる口実として__僕は結婚してしまいたい。

 19時30分 帰宅。アリの巣コロリを買おうと近所のスーパーを回るもどこにも置いていなかったので素直にAmazonで購入。入浴して録画した『迷宮グルメ』を観ながら夕飯。

 20時『ブラタモリ』『突撃カネオくん』を観ながらだらだら。

 21時『さんまの東大方程式』を観る。

 22時『情報7Days』を観る。

 23時30分『有吉反省会』を観る。明日は教習所へスケジュールを出さなければ、ああめんどくさいダルすぎる。