『戦争のはらわた』『コンボイ』観た 2020-12-30

 10時 起床。

 11時 昼飯のチキンライス。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を観る。

 11時30分 池袋に出発。

 13時 成人式用のスーツ一式を買う。レンタルはどうも最短で2週間かかるらしい。

 15時『戦争のはらわた』上映、おもいっきり寝た。この部下に慕われる熱血漢とブルジョワ崩れのイヤな上官というわざとらしい構図が退屈で仕方ない(勿論プラトーン地獄の黙示録より先なのは凄い)。そしてラストのクレジットタイトルに戦争の写真を挟むシーンは『炎628』のようなモンタージュは出来ませんと白旗を挙げているも同然だろう。トリュフォーが見事にいってのけた「ブルジョワによってブルジョワのためにつくられたブルジョワ的映画の価値とはいったい、なんなのか?」という名文を思い出す。

 17時『コンボイ』上映、オープニングで特に説明もなく走るトラックとジャガーにこれは面白いと確信するもやはりそこはペキンパー、見事に権力への抵抗という小さな構図に丸め込んでしまう。何故ペキンパーは綺麗に因数分解されたものを自ら展開し、そしてそれをそのままでフィルムを終わらせてしまうのだろうか。冒頭のセックスを警官に邪魔される一連のモンタージュなんかは実に見事で、カット尻なんかもう唸ってスローモーションも実に見事にさばいて見せるんだが何故シーンシーンはこうも綺麗に仕上げるにも関わらずお決まりの退屈な構図に落とし込んでしまうのかが不思議でならない。これは観客の求める、所謂テーマ映画としての条件なのか? トラックに中継車が並走するあのシーンまでは本当に良かった、ただトラックの大群が走り続ける方が権力への抵抗としてトラックを走らせるというよりもよっぽど映画的な広がりがあると考えてしまうのは私だけなのだろうか? そのシーンまでペキンパーはヒッチコック的な職人監督なのかと考えるも前言撤回、しかし『ワイルドバンチ』や『ガルシアの首』等ペキンパーの代表作はまだ未視聴なので機会があれば追っていきたい。

 20時 帰宅。風呂からの飯。

 22時 ネットサーフィン開始、明日はバイトなんで早く寝る。