病人であること 2021/6/12

 シネマヴェーラ渋谷勅使河原宏で一日を潰すつもりで早起きしたのだが、変にエアコンの風速を「自動」にして就寝したせいでどうも喉が痛いのと左目だけ一重になっている! 半年ほど前にも同様の症状がありアレルギー性の腫れらしいのだが、これもエアコンのハウスダストを浴びすぎたせいなのだろうか。

 それにしても酷く人相が悪い、元々左は奥二重なのだが完全に一重になっている、母に笑われながらスーパーの半額おにぎりを頬張っていると時刻は出発予定の9時を過ぎた。しかしどうしたものか、今日を逃せば次に病院に行けるのは最短でも月曜日のバイト終わりで、それも眼科が耳鼻科のどちらかにしか行くことが出来ない。

 

 自転車でかかりつけの眼科へ行くと満員で40~50分待つとのこと。幕間に読む予定で鞄に入れた本がこうして役に立つとは、イヤホンでたけしのannを聴こうにも呼び出しの声を無視しては迷惑をかけてしまう。成程読書家に病人が多い訳だ、待合室では本当に読書くらいしかすることがないのだ。

 案の定以前と同じ症状で同じ薬を処方され、同じ薬局で清算を済ませる。もう時刻は11時を回ったところで、耳鼻科へと向かう。

 改築されて以来数年ぶりに足を運んだこの耳鼻科、何故通わなくなってしまったのだろう? 確かその日は休診日で、別に当たった耳鼻科がかかりつけ医になってしまったんだ。待合室はそれなりに混んでいたが、どうやらワクチン接種待ちのようですぐに呼び出しの声がかかる。懐かしいやりとり、幼少期から全く変わらぬ会話、処方された薬__そういえばアレルギー性の鼻炎も持ちだったんだ俺は。

 この先生はいつも薬を二週間分出してくれるので、医療費が無料の幼少期はずいぶん通い詰めた。下に併設されている薬局で眼科の薬を別の薬局で清算したことを軽く怒られる、しかしそれはいくらなんでも無理があるだろう。自転車で5分も距離が開いているのにわざわざ通う方がおかしな話だ。

 その後も営業トークが続きながらも清算、財布に二百円しか残らなかった。シネマヴェーラの四本の料金+交通費として五千円おろしたのがそのまま消えてしまった、まあギリギリ清算出来ただけ良しとしよう。

 帰宅してもまだ12時、いつぶりだろうか早朝に起きたまま昼までこうしてだらだらしているのは。ビルの階段で食す予定で買ったカツサンドとおにぎりを頬張る。

 なんだか腹が痛い、自室の布団で横になりながらニコ生を見ること三時間、薬が効いてきたこともあってかなり体調が良くなってきた。相変わらず眠いが。

 

 しかし病院の待合室は読書にうってつけの環境ではないか、鼻炎と目の薬が切れるたんびにわざわざ混む休日の午前中に通っても良いと思えるくらい読書に集中することが、いや集中はしていないのだが、その待合室の空気がどことなく心地よかったのだ。

 自転車を漕ぎながら、ああ俺は病人であったなとそれはまるで他人事のように思い出す、これからも死ぬまで病気と付き合い続けることになるだろう。そんな自分をシーシュポスの神話と準えた時、どこかそれが詩的だなと自惚れてしまった。