『浪華悲歌』(1936/溝口健二)覚書2021/7/19

 Youtubeにて鑑賞。33分頃に、奥さんが鞄を投げ捨てて崩れた後に文楽人形のおかみさんの大暴れがモンタージュする、これはまさに天才の所業。例えば小津の『晩春』では確か能楽堂で能を鑑賞するシーンがある。ショットを割って、舞台、キャメラ......しかし本作の溝口にはこのモンタージュのために! 文楽を入れる!

 もちろん小津の謎はそれだから良いとして、溝口は素晴らしい。何故か文楽を鑑賞しに来ている。妾と遊ぶためなんだが、にしても客席、舞台キャメラを追いすぎやしないか? 2Fから1Fの俯瞰のショットまである。何故ゆえに? が、モンタージュで爆発する! 久々にスパークしたね。

 で、熱出して寝込んでる所を奥さんに突撃されるシーン。これが文句なしに面白い! 溝口は本当にエンタメというかこういうのも出来るんだ! ただ面白いシーンを。楽しいシーンを。「熱下がってもうた」なんて最高じゃないか!

 で、これはトリュフォーの言葉を借りるけども、というよりは彼の映画の理論だけれども、映画のラストシーンは全体のバランスを取る為に、つまり喜劇なら悲劇に、逆はまた然りという......本作のエンタメは、クライマックスのバランスの為だったんだな。

 女、父の為に不良になったが家では不良と冷ややかにされ、新聞出たら学校行けないと妹、そして何より素晴らしいのがそこで彼女は300円のことを口にせず飛び出した!

ここなんですよ。ここが大事。ここに人間、不良、底意地、つまり"粋"がある。

 男の言葉「わしにもわからん」女、歩いて来る、顔、終。父は一瞬追いかけようとするも......溝口は現代を描いた作家である。現在を。今もフォルムは違えど彼女が、イデオロギーは存在する。溝口の作品には驚かされるばかりである。