『子供の四季 春夏の巻』(1939/清水宏)覚書2021/7/27

 Youtubeにて鑑賞。

 父の最後の言葉「これからの一生で人より得をしようと思っちゃいけない。人が五銭で買うものは十銭出しなさい。十銭出すものは十五銭出しなさい。これは勉強でも仕事でも同じことだ。そして強く、強く、正しく、生きるんだよ、わかったか」この言葉が作品全体を、後半の『秋冬の巻』をも貫いている。

 二作を通して馬、牛、山、鮎と自然の連続。清水の映画はまさにヌーヴェールヴァーグでないか! 自然を、ロケで外に出て__それもただドキュメンタリー的に撮るのではなく、あくまで映画的な舞台として自然を用いる、あくまで劇映画なのだ。

 子供という装置は、なにも映画が発見した物語の役割ではない。社会が、大人が作り出すものである。キャメラ機械的にそれらを撮らえる、そういった意味で清水は映画的な感覚がかなり鋭く、深くにあるものを捉えている。作劇でありながら、無慈悲で機械的キャメラを用いて暴露する。それも無邪気な子供たちによって、本人らがそうと知らぬ内に。観客である"大人"にはそれがわかってしまう、第一に大人であるし、第二に大人はかつての子供であったのだから。

 立場の逆転、僻み、嫉妬__子供は残酷である。何故なら大人は子供以上に残酷な生き物で、子供は純粋にそれでも親を第一に信ずるのだから。しかし清水は子供の可能性を信じている。『秋冬の巻』では子供を皮切りに、母までをも変容させて行く。無垢の、純粋な子供の人間愛を信ずる、そして自然の中で描く__清水の映画はどれも好きだ。