『君と別れて』(1933/成瀬巳喜男)覚書2021/7/29

 Youtubeにて鑑賞。

 芸者の倅で父不在の中育った義雄は年ごろの青年らしく夜な夜な街を仲間と徘徊している、学校もサボって。母はもう中年なもんで客付きが良くない、義雄が芸者稼業を恥ずかしく思っていることは重々承知だが、なんとか彼が学校を卒業するまでは続けたいと考えている。

 母を姐さんと慕う照菊(母の芸名が菊江だから一文字貰っている訳だ)は義雄の唯一の理解者だ。彼女は不良に被れる前の義雄に戻って欲しいと願う。が、当の義雄は仲間からの誘いを断れずにいる。

 時代は違えど今と大して青年の構図は変わっていないように思える。不良なんてのは大した用があって集まる訳でもなく、ただ共犯者の頭数を増やしたいだけなのだ。そこに絆なんてものは微塵もない。現に二人の愛が勝ったのだから。

 照菊は学校をサボった義雄を自分の実家に行かないか、と誘う。海の見える良い所だから、って本当に良いロケーション! 二階から海が一望できる。そこまでの電車内の会話が良い、二人は外からどう見えているだろう、恋人か、兄弟か? そして車内の乗客のショットの連続__そして家の中では呑んだくれの父。照菊は幼い妹を芸者にすることに反対すると激怒する父、照菊「遊んでいるじゃありませんか」と一歩も引かないと父とっくり投げてブチ切れ。本作の成瀬はめっちゃカメラ寄るんだよな(ドリーイン)、顔のモンタージュも寄り寄りで繋げている。

 妹の身体だけは綺麗な堅気の身体のままでいてほしいと願う身売りの姉、というのは現代においても確認できる。『薬を食う女たち』の「産毛」という話では、悪い友達と付き合いたがる妹を姉は必死に追いかけ、今は大学の志望校を絞り切れないことに悩んでいることに安心する姉が描写される。

 溝口健二の『浪花悲歌』もそうだけれど、しっかり当時の"現在"を撮っていたんだなと。今となっては歴史の資料集のようだけれども、そこにはかつての現在がある。

 外に出て海辺に立つ二人。彼女は義雄に見せたかったという、うちがどんな家か。どれだけ義雄のお母さんは良い人か。そんな母を悲しませないで……そして「どこかへ行ってしまいたい」という字幕が海の背景に重なる。冗談よ、と言い加えるが__。

 義雄は仲間を抜ける決心をする。ケジメをつけられているとそこに駆け付けた照菊、義雄は母を馬鹿にされ自分はいいが母を馬鹿にするのは許せないとナイフを取り出し立ち向かう、しかし立ち回りの拍子に照菊が刺されてしまう! 逃げる奴ら、倒れる照菊。病院、照菊は生きている。「このまま死んでしまえたらどんなに楽か」それでも生きると照菊は決心し、義雄が元に戻って欲しいと伝える。そして義雄に遠くへ行ってしまうことを告げる。すべては妹の為であった。

 駅のホーム、二人は心を通わせる。妹さえいなければ、僕だって母さんさえいなければ__列車は遠ざかり、ホームには涙を浮かべる義雄の姿、終。

 芸者の母を恥に思う息子、というのは『赤線地帯』にもあったな。あちらは青年というよりかはまだ少年だけれども。現代においても親がソープ嬢だとかAV女優ってのはあるわけで、これも普遍の物語、つまり人生の問題なんだろう。