『マリヤのお雪』(1932/溝口健二)覚書2021/8/4

 Youtubeにて鑑賞。

 お雪「死のうったって寿命があれば助かるし 生きようと思ったってなければそれまでさ」という冒頭の台詞は志ん生の『疝気の虫』を彷彿とさせる。まあたまたま今日の昼間に聴いていただけなんだけども。酒と煙草を止めた奴が車に轢かれて終わりもすれば、酒と煙草でのそのそやっている奴も居るという。

 『国際シンポジウム溝口健二―没後50年「MIZOGUCHI2006」の記録』P11

蓮見「事実、ジョン・フォード溝口健二は、モーパッサンの『脂肪の塊』という小説を見事に翻案した数少ない監督の二人です。一方は『マリヤのお雪』(一九三五)であり、一方は『駅馬車』(一九三九)であるわけですが、溝口は『駅馬車』が日本に公開されたときにこの映画を讃える文章を発表しますし、やはりこの二人は通じるものがあるのだと思います。」

 成程、『脂肪の塊』は未読だかたしかに本作は『駅馬車』だ。冒頭、暗闇に包まれた街。逃げ出した人々は一つの馬車に集う。二人の芸者は足蹴にされ、無教養なブルジョワの卑しさ、滑稽さが暴露される。

 金でなんでも買えると思っている卑しい人間。成金は無教養なくせに金だけはあるもんだからタチが悪い。しかしまさか溝口も本作から50、60年後の日本人こそが本作で描かれるブルジョワの世界一になるとは思いもしなかっただろう。いや、これは溝口からの警告であったかもしれぬ。

 お雪が握り飯をブルジョワに譲り帰ってくる、おきん彼女に問う、お雪の答え

「三日や四日、どこでどうこう暮らしたって飲まず食わずに慣れてるアタシ達じゃないか」そして桜の枝のモンタージュ__このショットが素晴らしい! 二度ある。

 おきんが朝倉に追い返されて出てくる、それを外で待っているお雪のショット、これもまた素晴らしい。このショットが一番好き。美しすぎるあまりにも。

 終盤、二人が船に乗船しようとすると断られる。中には馬車で乗り合わせた客が二人居る、お雪が握り飯を差し出した彼奴だ。しかし二人は知らん顔して追い返す。ここも良い、そこまでするかと。『脂肪の塊』でもそうなのかな。

 途方に暮れる二人、お雪「便所だって墓場だって構わない、あたしゃ不人情な奴らの居ないところに行きたいのさ」

 ラスト、朝倉を逃がし残された二人__終。原作を図書館で借りて読もうっと。どんだけ面白いんだろうか。