『緋色の街/スカーレット・ストリート』(1945/フリッツ・ラング)覚書2021/8/5

 狂ったレコード、2回の反復。部屋に流れ込む階下のラジオの音、反芻される彼女の声__それらの音がクライマックスまで映画を高める、それはまるでオーケスラの演奏のように。細部の反復、リズム。これが演出というものだ。

 ゴダールの音は、そしていくつかのアヴァンギャルド映画も含めて__このラングの血を継いでいる。無分別にノイズを並べたてるではなく、そこにはある秩序が、つまりリズムがある。

 鏡、窓のイメージ。そう、二人は望まぬ変身を強いられた。男は彼女のおだてによって、彼女は彼氏によって。男は芸術家を演じ、女は美人局を演じる。

 鏡、窓は二人の幻影を"映す"、実体それ自体が幻影であるのに。それは映画がフィルムに光線を通した平面の幻影にすぎないのと同じことだ。

 暴力装置としての彼氏、そしてまたしても彼によって彼女は芸術家としての変身を強いられる。望まぬ変身と繰り返される暴力、しかし彼女は男に惚れている。それはヴァレリーが見事に言ってのけたように、人は幻影しか絶対に愛さないのだから。

 つまり彼女は変身装置としての彼を愛しているのであって、彼自身を愛している訳ではない。彼女が真に愛するのは鏡、窓に映る変わりゆく自己の幻影に他ならないのだ。その意味で彼女は本物の女優なんだな。

 男は二人の情事を目撃する、そして彼女の告白。彼女は演技をやめる(ここに映画内の落差が生じる訳だ)。背面の三面鏡に映る彼女の顔、そして正面のショット。その顔は真の顔か、それとも幻影か? 男は彼女を叩き__。

 列車にて。成程『天国と地獄』はこれだったのか。男は与太話に身を乗り出し反論するが、案外的を得ているもんで逆に丸め込まれてしまう。

 そして音、音、音! 二人の声! 永遠に愛し合う二人の声__。

 ラスト、男が画廊を通りかかるとあの「自画像」が運ばれて行く。そして男は一人になり、永遠の音に悩むだろう。

 音というかラングの才能がヤバすぎる。

 参考文献『映画そして鏡への誘惑』武田 潔

 黒澤明フリッツ・ラングを結びつけて論じる「黒澤明あるいは反映の消失」をはじめピエール・ブロンベルジェへのインタビューは実に刺激的で面白い。

 ブロンベルジェへのインタビューは『山田宏一映画インタビュー集 映画はこうしてつくられる』にも収録されているが、武田は対談しているのに対し山田は記録をしているといった印象。どちらも面白い本に変わりはないのですが、どちらが優れているかは言うまでもないでしょう。他にも「枠取りの力学グリフィスの映画装置」等中々面白いのでAmazonで買わずにメルカリか日本の古書店で探して是非読んでみて欲しい。近所の図書館にはなかった、大学にはあると思う。