『乳房よ永遠なれ』(1955/田中絹代)覚書2021/8/12

 「私が目つぶってる間に帰って」ってそれジュリーの勝手にしやがれやないかーい!

と一人ツッコミを入れる。しかしなんだかな、森雅之が退場してから全く面白くない、バス停での別れと霊安室へ歩いて行って倒れるシーンと手鏡の演出以外もう全部ダメだ、ラストの子供のアレとかもう臭すぎてダウン。こういうの誰が好きなんだ? 木下恵介とか男はつらいよを図書館で借りるような連中か? 案外名画座通いの老人にもウケてたりなんかして、実際フィルマの点数も異様に高いし(ビクトル・エリセが特集で選出したらしいけどそういう色眼鏡は大丈夫ッス)。

 そもそも病人が主人公な訳だから動きが死んでいてもむしろ当然と言えば当然なんだが、しかし新聞記者が絡んでから全く面白くない。というか画面が文字通り死んでいる。ベッドの上で演劇まがいをタラタラやられてもね……俺が観たいのは映画なんですよ。二人が重なるシーンは本当に死んでいるんだな、画面が。

 確かにバス停のシーンはそりゃあもう素晴らしいですよ、ええ。横移動、二人は止まれどキャメラはまだ動いていて__バスに乗り込んでの振り向きのショットも良い。風呂での乳を見て見ないのくだりもまあ良いです、でもやっぱり記者のシーンは酷すぎる。死を描くんであっても決して画面を殺しちゃそイカンと私は思うんですよ、ええ。映画でしょう、これは。男が跨るシーンなんか本当に酷い有様で、くっついて長々と喋って。田中絹代は確かに演出のセンスはあるかもしれないしショットも撮れる人だ、冒頭の妾が走ってくシーンなんかもようござんす。しかし運動はダメなのかもしれない。人が全然動かない、アクションがない、まさに死んでいる。いくら何でも死にすぎやしないか。

 それで人は満足してしまうんだろうか、たかが映画と涙に酔うのだろうか。なんだか観客を舐めている気がしてならない。なにかを伝えようとする意志が、思想が微塵も感じられない。"この程度"と妥協し薄めたメッセージ程粗悪なものもないでしょう。きっとロベール・ブレッソンが本作を観たら頭を抱えて悶えることでしょう。