『噂の女』(1954/溝口健二)覚書2021/8/18

 「お互いに金も地位も何もないけれど若いってことが僕らの力ですよ」これを母が聞いているんだから凄い。完全なあてつけ、実際その通りなんだが。この時の顔!

 若さってのはどうしたって取り戻すことは出来ないからね。それにしてもなんか小津みを感じると言っては失礼だろうか。能の音が鳴る中でこのセリフを聞いて、んで次の狂言では自分が馬鹿にされる__と、お得意さんがやって来る。

 娘が医者を追っ払う際の顔のショットとか強すぎる、ここも小津っぽい。

 一番好きなシーンはハサミを入れている娘を医者が訪ねて来るシーン。ここ凄いのはずっと動いてるんだね二人が。ハサミを動かす娘、男やって来る、彼女移動する、男も動く、女座る、男も座る、溝口の映画は本当によく人が動いている。

 『マリヤのお雪』然り、溝口は二人の女が共通の男に敗れる、というのと水商売で生計を立てる親を恥じる子、というテーマを何度か扱っているけども、これは時代を反映してのものなのだろうか。後の『赤線地帯』ではもっとその子供が幼くなるし、成瀬の『君と別れて』では恥じる息子と若芸者の恋が描かれる。溝口特有のものというよりは、時代全体を通してのテーマ、ないしそういったものがウケたのだろうか。

 しかし美談でもなんでもないんだなこれは。だからラストに田舎娘がやって来てそれを見た芸者に「うちらみたいな女いつになったらないようになんねんやろ あとからあとからなんぼでも出来てくんねんなあ」と言わせて終わる。無邪気で悪意のない彼女らは家族と客の食い物にされる。医者のように色恋沙汰でもめるってのもあるしね。

 ラスト、大勢の客が集まってくる玄関と、賑わう室内のエネルギーにルノワール

フレンチ・カンカン』を感じた。画面を人(物量)で埋めるのは楽しいね。

 親子が被害者同士ってことで仲直りするのもなんとも可笑しく、しかし娘の「やっぱりお母さんの子なのね」の一言で全て説明がつく。子は誰しも親の子なのだから。