『コルドラへの道』(1959/ロバート・ロッセン)覚書2021/8/19

 アマプラで観た、これは面白い。脚本がかなり練られている。キャラクター同士が上手に対立する。

 映画の登場人物というのはなにかしらの問題を抱えている。90分ないし120分かけて問題は解決される。対立、共通の問題を抱えているが故の対立、同族嫌悪。嫌な自分を彼の内に発見して誰が彼を好きになろうか?

 コルドラへの道、皆それぞれの"溝"の中に居る。それは時に牧場であったり、鉄道であったりする。誰しも目を背けていた。しかしゲーリー・クーパーの転倒によって、というかこの映画冒頭に騎馬戦やってクライマックスがひたすらトロッコを縄で引っ張るも逆に引きずられてぶっ倒れるって凄いな。これがまた実に感動的なんだけれども。

 倒れたゲーリー・クーパーは『ロミオとジュリエット』で言うところの仮死状態になる。その横で彼の手帳が読み上げられる。

 最近観た『わたしは、ダニエル・ブレイク』のラストでは主人公の葬式で彼の履歴書を読み上げるシーンがあるが、しかしこちらは殺さないんだな。ここが凄い。彼を殺さないということ、沈黙と同情のヴェールで覆わないこと、生きること。

 手帳を読み上げ終わると、一人が叫ぶ。もうコルドラはすぐ傍であった。そしてゲーリー・クーパーが目覚めると、一同は歩みを進める。行ってはいけない、軍法会議にかけられるぞと警告する若者、それに耳を貸さず歩く一同。若者、拳銃を投げ捨てついていく! ここめっちゃ熱い。

 病める子供__幼き頃に受けた暴力の痕。このキャラクターも定番だよね、現実に起こり得るどころかありふれた人生だから(悲しいことに)。しかしラストシーンは凄い、もう全員問題だらけで、初めから皆で辻褄を合わせてスマートに解決すれば良かったんだけどゲーリー・クーパーの頭が固すぎるんで彼に聞く耳さえあれば丸く収まった筈なんだ。それが180度ひっくり返っちゃうんだから、トロッコが逆走したのと同じように。これはつまりゲーリー・クーパー自身が溝から出たってのももちろんあるんだけれども、全員彼と同じく溝から目を背けて誤魔化していたんだな。それをトロッコを引くという身体性で立ち向かったクーパーの姿に、そして手帳に、彼らは触発された訳だ。

 そしてそのクーパー自身も彼女の献身によって溝から出てトロッコを引いたんだね。こんなに汚い愛の映画は滅多にない、素晴らしい。美しい人間愛なんて全部嘘だよ、滅茶苦茶で醜くて誰もが目を背けたくなる溝のような汚いものこそ本物ですよ。しかし愛なくして溝から出ることはありえないんだな、大傑作!!!