『夜の女たち』(1948/溝口健二)覚書2021/8/22

 本作の中に増村を発見した、彼はまさしく溝口のDNAを受け継いでいる、このエネルギー……。家出娘がアジトに連れられて来た際の移動ショットが凄い、移動のキャメラがヌルヌルキマる。

 病める子ら、被害者、彼女らは傷を負っている、負わされたのだ、悲しきかな。

 クライマックス、家出少女が変わり果てた姿で発見される、帰るよう促す姉、しかし彼女は粋がり仲間に入れてくれと立てつく。彼女もまた多くの少女と同じように孤独なのだ、ヤクザな世界に入るのは事故にあうみたいなもので、運が悪かったとしか言いようがない。ぶん殴られて金も服も処女すらも全て奪われ往くあてもなく、ないんやったら家に来ればええやないか飯も食えるし仲間もおるでと。

 傍から見ればめっちゃくちゃなんだが本人からしたら従うしかないんだな。ヤクザは先に選択肢を奪ってしまう。目をつけられたら終わり、もうこれは運でしょう。それか余程の阿呆か。で、抜けさせない。抜けられないから他人を引っ張り込む。

 被害者は、災厄は連鎖する、持続する、それは時に映画のように、人生のように、そして戦争のように__。

 医院に説教しに来た婆さんに啖呵を切る姉の次のシーン頭のショットも強い。

 しかし夜に出歩いているだけで捕まる時代ってのも凄い。姉の変わり果てた姿、「人の男寝取っといて」皆食うのに必死だ、そりゃ戦後だから……今もか?

 婦人寮でのセリフも強い、男に病気をうつしまくると復讐に燃える姉に「汚れ果てた傷だらけの君が残っただけじゃないのか」と説教。そう、 ヒースクリフの時代から復讐の虚しさはなにも変わっちゃいない。失ったものは勘定に入れないことだ、ショーペンハウアーを読もう。

 そしてクライマックス、凄いねこれは。殴られて助けて殴って殴られて……このアクションは増村がしっかり継いでいる、この映画のエネルギーは一体何なんだ? アクションによって? 家出少女の涙、上っ面をはがした姉は自らをも表出させた。ぶん殴られて壁のイエス__『マリヤのお雪』と対? いやあ面白かった、かなり好き。