『女性の勝利』(1946/溝口健二)覚書2021/8/26

 「あなたは負けちゃったのね、生活に負けちゃったのね、生活から逃げちゃいけないのに、生活は闘わなくちゃいけないのに」このシーンの長いこと長いこと、カットを割らない! 一回奥に行ってもまた前に戻って来る。

 夫が事故に遭ってからというもの、もの売りでなんとか生活をたてる女学校時代の同級生は夫に先立たれると不安から子に手をかけてしまった。この告白を静かに聞く田中の顔がもの凄い。

 弁護士の田中は法廷で女性は家庭の神話によって男に従属させられていると告発する。ボーヴォワールの『第二の性』より三年も早く溝口がやっているじゃないか!

 まあGHQの意向諸々ありきではあると思うしかなり説教チックなのも否めない。ルノワールだって『自由への闘い』を撮ったしチャップリンも『独裁者』を撮った訳で。

 田中は姉の夫の検事のおかげで弁護士になったんだけど、その義理で今回の裁判では折れてくれないかと持ち掛けられる。姉も彼女に頼み込むが田中はそんなんだから女性がいつまでたっても自立できないと一蹴する。といっても彼女だって元はと言えば彼のおかげで飯を食えている訳で、じゃあ姉が一人で生活を立てるとなると……その辺りは現代においても全く変わっていないね。

 間違った義理や人情は義理でも人情でもなんでもないとし、田中は闘う。ラスト、休廷中に姉は実家に戻ることを決めたことと病に伏した彼氏がとうとう亡くなったことを同時に知らされる。休廷時間が終わり、歩く田中の正面のショット、終の文字。

 例えばこれを判決までやってしまえばそれこそ説教映画なんだが、カットして問題提起してとりあえずの物語内(人物)の問題を片づけて終わるのは良い判断じゃないか。戒めではなく、切断としての説教。

 まあ説教臭いってのもわかる、弁護人がいきなり彼女でなくて社会が悪いって言い出すんだもんね。実際にやったら皆ポカンでしょう。でも映画なんだからこれは、むしろ映画でやるんならそうするべきですよ。説教装置としての映画の可能性、プロパガンダ映画? 歴史の授業? ジガ・ヴェルトフ集団?

 田中の愛人もムチャクチャな人だったなそういうえば、というか戦後ってもう滅茶苦茶だなそりゃそうでしょう戦争やったんだから。