『人情紙風船』(1937/山中貞雄)覚書2021/9/4

 画面がとんでもなく暗い、ここまで画が暗い映画、それも日本映画じゃ中々ないでしょう。フィルムノワールのそれとも違うんだな、これが長屋の暗闇の実景なのだろうか? 落語の長屋もここまで暗いのだろうか。

 "人情"というタイトルがついていながら恐怖映画という。人情の本来の意味はこんなもんなのか? ラストの短刀を持ち、灯が消え、次のショットで内からのキャメラ、見物人がこちらを覗いていて「心中だ」と。このリアクションとモンタージュ、ホラー映画じゃないか。和製ホラーですよこれは。

 ドラマを描かぬこと、死を解釈せぬこと。毛利への頼みは一体何であったのか? そんなことはどうでも良いのだ。何故なら冒頭での首吊り死体と二人の死は何ら変わらぬものであるから、いやむしろ二人の死によって冒頭の首吊り死体に解釈が与えられたといえようか。

 ただそこには死のみがあるということ、シェイクスピアの言うように、人生は春の夢にすぎず、死とは夢から覚めるだけだ。ただそれだけのことで。

 ラストに流れる(下水?)紙風船は良い、我々も所詮流される紙風船にすぎないのだ。本作が山中の遺作となったのも実に奇妙であり、しかしどこか納得してしまう節がある。これも解釈をいくらでもこじうけられようが、山中は死に、そして我々、私も死ぬ。二人の死は冒頭の首吊り死体と同じく手向けを送られたのだろうか?

 しかし映画は終わる。人生と同じことだ、天国は待ってくれても死は待ってはくれないのだ。