『國民の創生』(1915/D・W・グリフィス)覚書2021/8/3

 クライマックス、KKKの騎兵隊が走るショットのモンタージュ、まずは斜めから、次に正面、また正面のショット__初めのショットはまるで『ラ・シオタ駅への列車の到着』を彷彿とさせる__それにしてもアメリカは未だに分断が続いている、この時代より現在の方が良いと誰が言い切れようか。

 権力、金への役人魂は国への寄生、しかし全てはリリアン・ギッシュに帰結するというのがなんとも面白い。いささか説話的ではあるものの、しかし実際の生活において男がアクションを起こす際、コーマンの他に男を奮い立たせるものが一体どれだけあるだろうか? ましてや自ら寄生虫を志願するのだから、これはコーマンの幻惑に他ならないだろう。誰がコーマンを抜きにして政治家になろうなどと? まぁ私は実家の寄生虫ではあるのだが……。

 しかし私のようにただ実家の生き血を吸うのと国民の生き血を吸うんでは幾分か私の方がマシであろう。衰弱しきった病人には扇動する気力など毛頭ないのだから。

 結局盧溝橋事件にしろ満州事変にしろ、本作の少女の投身も全部同じで理由はなんでも良いから叩ければなんでも良いんだな、戦争というのは。インディアン狩りの頃から何一つ変わっていない、異教徒だから殺すだとか探せば世界中いくらでもある。ただ殺したいだけじゃねえかっていう。しかし国がデカイ(地理)と大変だね、結局『銃・鉄・病原菌』じゃん(読んでないけど)。