『南部の人』(1945/ジャン・ルノワール)覚書2021/9/3

 ルノワールがちゃんとアメリカ映画をやっているじゃないか! パーティーのシーンなんか実にアメリカ調でよろしくやっている。というか脚本がそうなんだろうな。農業と水ってのはルノワールに撮らせて正解だね、彼こそ自然、大地と水なんだから。

 しかしいくら水のルノワールとは言えども牛を救出しようと洪水で濁流した川に流される二人の男ってのもなんだかヘンテコでおかしく面白い。そこがまた実にルノワールらしいというかね。

 ルノワールに限らず、たいていの映画では(最近観た溝口の『ふるさとの歌』然り)川に飛び込む時ってのはどうして服を脱がないんだろうと。小学校の時に着衣水泳の授業を受けたもんだからシャツとズボンくらいは脱ぎ捨ててから飛び込む映画があっても良いんじゃないか? それだけ冷静でないという表現なんだろうけども。にしても映画ってのはどうしても衣を濡らしたいんだな、これも欲望の体現なんだろうか。観客が求めているから? かつて男が足を観に宝塚へ通った時代があったように。

 ラスト前、家に帰ってくる二人の男の足取りのショット、泥まみれの大地を二人の足が歩くショットと家の前での主人公の顔のショット、動くと後ろのトラックが見えるあのショットがかなり好き。パーティーのシーンもかなり良かったな。