『元禄忠臣蔵 前編・後編』(1941/1942/溝口健二)覚書2021/8/24

 忠臣蔵は大抵前後編に分けられ前編で討ち入りまでの段取り、後編は討ち入りで終わりというのがお決まりだが溝口は討ち入りを丸々カットしその後の切腹をクライマックスに持ってきた。これはとんでもない手腕、なんでこれが忠臣蔵のスタンダードでないのか不思議なくらいで。

 加藤大介が良い役で出ている、これが出兵前最後の映画になったんだね。

 セリフでも言わせている通り東軍(シナ)ではなく日本人の武士道を描いた溝口。ラストは切腹へ向かう大石のショット、キャメラがクレーンで上がっていき__前半で浅野内匠頭切腹するのをクレーンで撮り、外の戸の前に崩れる武士を同じショットに収める!

 前編は縦のショットが気持ち良いものの、会話になると座っているのでやや中だるみを感じる。しかし後編はもの凄い、なんといっても安兵衛への説教! 吉良上野介なんて老いぼれを斬って何になる、世間に何と言われようと職務を全うし赤穂藩に尽くすことが真の復讐であると説く。その後の吉良上野介が能を鑑賞する際のモンタージュ

 そして討ち入り後の女の約束、世間が良い風の吹き回しになったから来たのであって、男の元へは行かぬ方が良いという大石の忠告。これがなんとも皮肉に満ちているんだな、溝口の時代劇はある意味でモダニズムに満ちていると言えよう。"武士道"を象徴する事件として大衆化された赤穂事件こそ武士道の静寂に反していないか? たとえそれが意図しないものであったとしても。

 象徴、偶像としての忠臣蔵であるということを作品内で宣言してしまう溝口にはただただ唖然とするばかりである。参りました。

『非情城市』(1989/侯孝賢/ホウ・シャオシェン)覚書2021/8/23

 初HHH、160分ながら全く尺の長さを感じさせない。空間に文字通り固定されたキャメラ、これが持続どころか永遠ですらあるかのようなショットのリズムを刻む。

 空間にキャメラを固定すること、視点を窃視するのではなく観測者となること、即ち神となること。

 男は写真を撮る、しかし我々は彼の身振りしか視界に入らない。撮られたであろう写真はどこへ行ったか?

 『その男、凶暴につき』だか『ソナチネ』だかの元ネタがあると有名な本作だが、該当シーンはすぐにわかる。トイレ内でのナイフの乱闘を、次のショットで廊下からドアから出て来る二人を映すショット。というか乱闘をロングで撮るのもHHHじゃん。拳銃のバンってのを手元を暗くして誇張せずにさっとやるのもHHH。ラスト付近の語らないのもかなりたけしが継いでいる。たけしを新しい表現とか軽々しく褒めると映画あんまし観てないのバレちゃうよね(押〇守とか)。『3-4x10月』『みんな~やってるか!』があるからたけしが天才なのに異論はないのですが。

 ロングショット、空間に固定されたキャメラ。同じポジションからのショットの反復によって歴史が語られる。かのグリフィスが言ったように、歴史の授業としての映画。中高の社会科で本作を観られたらどんなに幸せだったか。

 語り、耳が聞こえない、文通によってテクストが画面に表示される。それはサイレントの、グリフィスの語りの方法を見事に復活させている__素晴らしいことだ。『ディアローグデュラス/ゴダール全対話』だかでデュラスが言っていた(と思う)ように、サイレント時代の語りは現代の方法で復活させなければならない。

 彼女の日記という語り、これだけではオフの声しか使うことができない。画面上にテクストを表示させ、物語を進行させる手段として"耳が聞こえない"ことを制約としたのは素晴らしいアイデア。目が見えなければ声での進行になってしまう(『按摩と女』等)

 ショットもそもそも小説的__いや、空間的だ。キャメラを空間に固定することによって、その空間は一枚のキャンパスと化し、映像は"描写"される。それはまさしく動く絵画である。ロングショットもそう思えば合点が行く、そしてクライマックスの写真!

 最後には我々にも現像された写真が開示される、固定された写真が。しかしそれすらも彼女の語りによって__これも素晴らしい。ここまで緻密に穴を塞いでくる。語りの映画、歴史を語るということ。

 HHHの才能に完全にノックアウトされてしまった、ここまで映画を創りたくさせる映画も中々ない。俺も映画創りてえなあ。本当に。

『夜の女たち』(1948/溝口健二)覚書2021/8/22

 本作の中に増村を発見した、彼はまさしく溝口のDNAを受け継いでいる、このエネルギー……。家出娘がアジトに連れられて来た際の移動ショットが凄い、移動のキャメラがヌルヌルキマる。

 病める子ら、被害者、彼女らは傷を負っている、負わされたのだ、悲しきかな。

 クライマックス、家出少女が変わり果てた姿で発見される、帰るよう促す姉、しかし彼女は粋がり仲間に入れてくれと立てつく。彼女もまた多くの少女と同じように孤独なのだ、ヤクザな世界に入るのは事故にあうみたいなもので、運が悪かったとしか言いようがない。ぶん殴られて金も服も処女すらも全て奪われ往くあてもなく、ないんやったら家に来ればええやないか飯も食えるし仲間もおるでと。

 傍から見ればめっちゃくちゃなんだが本人からしたら従うしかないんだな。ヤクザは先に選択肢を奪ってしまう。目をつけられたら終わり、もうこれは運でしょう。それか余程の阿呆か。で、抜けさせない。抜けられないから他人を引っ張り込む。

 被害者は、災厄は連鎖する、持続する、それは時に映画のように、人生のように、そして戦争のように__。

 医院に説教しに来た婆さんに啖呵を切る姉の次のシーン頭のショットも強い。

 しかし夜に出歩いているだけで捕まる時代ってのも凄い。姉の変わり果てた姿、「人の男寝取っといて」皆食うのに必死だ、そりゃ戦後だから……今もか?

 婦人寮でのセリフも強い、男に病気をうつしまくると復讐に燃える姉に「汚れ果てた傷だらけの君が残っただけじゃないのか」と説教。そう、 ヒースクリフの時代から復讐の虚しさはなにも変わっちゃいない。失ったものは勘定に入れないことだ、ショーペンハウアーを読もう。

 そしてクライマックス、凄いねこれは。殴られて助けて殴って殴られて……このアクションは増村がしっかり継いでいる、この映画のエネルギーは一体何なんだ? アクションによって? 家出少女の涙、上っ面をはがした姉は自らをも表出させた。ぶん殴られて壁のイエス__『マリヤのお雪』と対? いやあ面白かった、かなり好き。

入院生活63日目 足の激痛にのたうち回る朝2021/8/22

 3時30分 左足に痺れるような痛みが走り目覚める。膝から下が特に痛い、前夜にカロナールを二錠飲んだからか右足に痛みはなく、10段階で言えば3~4程度の痛み。しかし気になって眠りに就くことができない。LDLアフェレーシスの三回目の夜くらいから足が痛むようになった。

 5時 結局眠れず。とりあえずトイレに立ち体重計測、起床時の薬を飲む。

 6時30分 薬が切れたのか痛みが両足に広がり、10段階中7の痛みになる。トイレに立つもヨチヨチ歩きしかできない、かなり痛む。ベッドで転げまわって耐える。足をどのポジションに持って行っても痛いので全身を動かしひたすら悶えていた。

 8時 朝食が到着したのでかなり頑張って口に運ぶ、とかなりマシになってきた。初めは痛すぎて上半身をバタつかせながら食事を摂っていたが半分も食すと平常に戻った。立ち上がると多少は痛むものの座っている分には問題なくなった。水分(ミネラル)不足だったのか? 毎週日曜のメインはちくわと大根といんげん豆と玉葱を煮たやつ。

 9時 横になっていた。

 10時 だらだらHSBGするも眠い。

 12時 昼食。メインは鶏のささみの味噌照り焼き。味噌がメニューに入るときは塩分制限のおかげで味噌汁がなかったりするので困る。白米あれば味噌汁はマストでしょ。

 13時 眠い、眠い、横になる。少し寝た。

 14時 今日もザ・ノンフィクションはお休みなのか。また少し寝る。

 15時 『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』の「不良少女モニカ」と「古典的デクパージュの擁護と顕揚」を読む。

 16時 図書館で借りたDVDを再生するもディスクが回り続けてトレイから出てこなくなった! 再起動をかけて電源が落ちたタイミングでトレイが開く。裏を返すと傷だらけで中心の穴の付近がもうパッキリヒビ割れしていた。PC壊れるだろ報告せんかい! 本当に焦った、俺はちゃんと報告するぞ。

 16時30分『夜の女たち』を観る。

 18時 夕食。牛肉と黄パプリカ、しめじにマッシュルームの煮込み(ワイン?)。

 明日は二人退院するようで、隣の人は初日はかなり痛みのストレスからか酷かったけども症状が改善した三日目辺りからはかなり大人しく穏やかになったので良かった。夜になるとテレビを観てよく笑っているし、朝は新聞と週刊誌を読んでいる。人の心に余裕ができる過程を間近で観察できるというのは入院生活の特権である。

 人というのは本当に環境によって変化するから面白い。病も身体の環境が変化する訳だからね。初日が看護師を痛みから怒鳴り呼びつけていたのが、今では本当に穏やかでこれが素の彼であったんだな、と。奥さんとの電話での口調もかなり柔らかくなるんだから面白い。

 もう一人の方は奥さんと仲が悪く、入院中ついに一度も連絡をしなかったようだ。息子に何度も連絡をするようにと電話越しでブチ切れていたけどもそりゃあ奥さんも嫌だよな、と納得してしまうような……うん。息子さんが大変だ。結局退院のお迎えも息子さんが来るそうで。

 息子さんが自分の仕事先への休みの連絡を入れた際の態度が気に食わなかったそうで、初日はかなりブチ切れていた。まずはありがとうが先じゃないか……なんて考えたり。奥さんはさぞ苦労したことでしょう。

 例え間違ったとしても相手が善意で行ったこと、そしてその支払った労力と時間に対して感謝の言葉と気持ちを伝えることを怠ってはならない。これは自身への戒めでもある。でも看護師さんには俺より丁寧なんだよな……照れくさいのか?根はやさしいの?

 彼は暇つぶしを知らないようで、というか本もテレビもないからどうしようもないのか。後ろの自動車整備士熱中症で倒れて夜中に運ばれてきた爺さんも暇そう。俺なんかいくらでも居られるよ、読む本はあるし観る映画もあるし。収入がないのだけだな困っているのは。

 声、そう人の性格とか全部声で大体わかるよね感覚的に。自分のフィーリングと合うか合わないかも。声は隠せない。病室になるべく老人が居てほしいのは日中の物音が静かってのも大きいけど家族との電話を盗み聞きできるのが大きい。他人の電話をフル尺で聞く機会ってのも中々ないでしょう? カフェなんかだと金がかかるし。あんまり大きい声で長いと勘弁だけどね。

 19時 『八方・陣内・方正の黄金列伝』8/21放送分をTverで観る。ミルクボーイの駒場は先輩の八光という落語家に毎晩呑みの席に付き合わされていたのだが、やすともの言葉を受けて誘いを断るようになったらしい。で、面白いのが当時初めて断られた時の心境をスタッフに問われると「僕も後輩気質やからわかるんですよ」と、ネタ合わせで行けないというのは嫌な誘いを断るための嘘やったと今でも勘違いしていたという。本人はスタジオでホンマですと否定している。売れる芸人と一生売れない芸人の差が如実に露呈してしまった神回。中々面白かった。

 この二人に『キッズ・リターン』を重ねる、そしてシオランの言葉を引用しよう。

  20時 ブログを書き始める。なんか今日は長文になってしまったな。映画ノート書いて少し読書かなんかして寝る。

『モンキー・ビジネス』(1952/ハワード・ホークス)覚書2021/8/21

 ホークスにしては珍しく立ち上がりが遅い。30分、いや大目にみても25分はホークスにしちゃ遅すぎる。

 これは仕方のないことで、若返りの薬を飲むことによって年老いた二人の身体性が「解放」されることがキーだから立ち上がりが遅いのはしょうがないんだけど、それにしても遅い。

 猿が登場してからエンジンがかかってきて、フォード買って髪切ってからはやっぱり面白いんだけどでもなんか違うというか……男の少年は良いけども奥さんの若返りは中々しんどい。男が洗濯室に飛び込むのは良いけども。

 伏線(しかけ)として若返りの薬(と思い込んでいる)ものがなんでもなくて水が本当の薬というのをさっさとセッティングしてしまうのは良い。しかし何故マリリン・モンローに水を飲ませなかったのだろう? 若返るというテーマだから歳が足らないというのもあるんだろうけども、にしてもせっかくキャラクターがあるのに序盤でちょっと出てきてあとは当て馬として退場するのは流石にもったいない。

 流石はホークス、二人が少年少女になってからは文句なしに面白い。男の髪を剃る所とか声を出して笑ったね、しかもそっからちゃんとクロスカッティングでクライマックスまで上げて来る。赤ちゃんを彼と思い込んだ妻と少年のままの彼。

 そしてフィナーレ、しかけが爆発して大団円。これで終わるのかと思いきや二人はドレスアップして部屋に居る、そして愛という薬を取り戻しましたとさ、おしまい。

 冒頭のくどいドアもこれのためだったんだね。映画とドア、『捜索者』! 大人のデートムービーを意識して制作されたんだろうか?

入院生活62日目 『物語のディスクール』が届いた2021/8/21

 3時~4時頃 目覚める。小一時間ぼ~っとしていたら再び入眠に成功。

 5時30分 起床。薬を飲む。なんかニコ生開いた気がする。

 7時 朝食前の脱糞ルーティーン。髪を切りたい。『マルクスのために』を読む。

 8時 朝食。メインは鶏肉とキャベツの中華スープ。今日はちょっと豪華かな。

 10時 LDLアフェレーシスに呼ばれる。急いで脱糞。朝食のヨーグルトのおかげでかなり便は安定しているのだが(入院当初は水便が数時間毎に出続けていた)、いつも午前中に数回に分けて出るのでシャワーであったりリハビリであったりと何かしらの用事と被る。しかし天国は待ってくれても便は待ってくれないのである。

 10時15分 透析室着。『生の短さについて』を少し読むもダウン、透析中は本が重い(物理)のでたけしのANNを聴きながらHSBG。スマホを持つのも少し重いので横になって大人しくしていた。

 12時45分 昼食。毎週土曜は『座王』を昼に観るのがルーティーン。メインはかき揚げ、塩分制限をしているとしょうゆがついてくるかき揚げと天ぷらは大当たりなのだ。

 13時 母からの荷物が届く。メルカリで買った『ゴダールに気をつけろ!』と水声社にメールで直接注文してゆうちょダイレクトから郵便振替5500円で購入した『物語のディスクール』とマスク歯ブラシ等の生活雑貨。

 別に住所を病室にすれば直接荷物は届くんだけど、あんまり病院に手間をかけたくないというのがある(結局母から荷物を受け取り運ぶのは看護師なのだから今考えたらむしろ余計に手間をかけているのでは? あれ?)。レンタルWiFiと壊れた換えのイヤホンは流石に病室に配達したけども。SONYの『MDR-EX650AP』をメルカリで並行輸入新品¥3900で購入した。前モデルはマイクなしでかれこれ5年は使っていたと思うんだけどここ数か月使いっぱなしだからか断線してしまった。イヤホンはSONYが板。

 しかし入院してから家族の大切さを知る。以前急性アル中で緊急入院した「一人でやってきたんだ」が口癖の独身爺さんは本当に不便そうだった(生活上の物理的な面で)。

 彼はスクーターを駐輪場に停めたまま入院して数日経っているようで、誰か連絡のつく家族なり友人なりが居れば引き取りを頼めるんだろうけど結局そのまま退院していった。初日に医師の「今は何年何月何日ですか?」という問いに「2500年......」と答え始めてエルシャダイかよって。いや本人はマジだから笑えないんだけども。

 で、なんか裁判所に資料を提出しなきゃいけないだとか仕事を探さないといけないだとかで揉めに揉めてふらふらながら強引に四日くらいで退院したんだけどスクーターで帰るつもりだったみたいでタクシー呼ばれて帰ってった。いや普通に駅で降りてスクーターで帰ってったんだろうな。俺でもそうするよ、金ないならなおさら。金と仕事がないとおちおち入院も出来ない世知辛い大人の世界、いやや~。

 やっぱり緊急時に身体が一つしか動かせないというのは致命的で、歳を重ねればなおさらである。しかし家族の大切さ(アイテムとしての重要性?)に気が付いた時にはもう遅いんだな、いや離婚とかそういうのも色々あるんだろうけど大人になるって面倒だなと。大人になりたくないけどどっかでならないとどっかで積むんだよね。誰もその積むポイントを教えてくれないのが人生。『天国の南』をまた借りよう(一ページも読んでない)。

 16時 『モンキー・ビジネス』を観る。

 18時 夕飯。鶏肉とあんかけの中華スープ。今日はコンソメデーだな。

 20時 放送大学の単位登録。前期の成績は全部Aで一安心。

 21時 この記事を書き始める。この後映画ノート書いて薬飲んで寝る。

『虞美人草』(1935/溝口健二)覚書2021/8/20

 人間って図々しいね。コント、コントですよこれは。冒頭の落書きを消すくだりとドビュッシーと中盤のショパンサイレント映画っぽいけど普通にトーキー。

 劇としては男の苦悩を描く為に彼が悪役を買って出ているけども(構成として)これが"売る"というか小説としては正解なんだろうか。そもそも田舎から許嫁ってのだけを頼りに二人で上京してくるってのもかなり図々しい。現代でもこれはないでしょう。時計を返す学生は彼女を庇うけれども。

 苦悩する彼だって開き直ってしまえばいいのに。まあそれだとドラマが成立しないんだけども。女も女で図々しい。

 時計が破壊されるクライマックスの波のモンタージュは凄い、後の坂妻版『無法松の一生』の元ネタじゃんかこれ。溝口が先にやっている、強すぎるでしょこの人。そう初期の溝口は結構大胆に映画で遊んでいるよね、活き活きしている。

 夜の列車のショットなんかもいい、鉢合わせしちゃって車が出て行くシーンも好き。一時間と短いのも良いけれどかといって傑作ってほどでもない。

 考えれば考えるほどコントだねこれは、全員図々しくてとりあえずの貧乏くじを誰かに引かせて人を動かすという。小説、物語ってのはこう動かすものなのか? 母親なんかもかなり酷かったね、人間は本当にめんどくさいし大人になるってこういうことなんだろうな。