『山の焚火』『ポーラX』を早稲田松竹で観た 2020-11-27

 11時 起床。だるいので特に何もせず布団の上でごろごろする。

 12時 先日購入したオナホールを使用して自慰に浸る、長くなるので別記事にする。

 13時30分 気圧のせいか本当にだるいのでなにもする気力がない、冷凍うどんをレンチンしてその上にめんつゆ大匙2バター少量きざみネギしらすのりを投入し混ぜて食す、これが中々いけた。味のりとうどんの相性がかなり◎

 15時30分 早稲田松竹へ出発。

 16時15分『山の焚火』上映、意識的に中盤かなり寝た。音が良い映画は目を安心して瞑れるので良い、『あの夏、いちばん静かな海』しかり主人公に喋らせぬ為に唖という設定は必ずしも必須なのだろうか。もっと喋らない映画があっても良い筈で、サイレント期のように台詞を削ぎ映像で語る映画が増えてほしいけれど興行なんで仕方ないか?

 山で性交した姉弟、妊娠した事実を母に知らされるとショットガンを取り出すが揉み合いの末に自爆する父、ショックで母も死ぬ__この自然と性のイメージから浮上する死のイメージが素晴らしい。彼らの両親は自然が殺したのだ。『砂の女』然り性交はもっと自然の中で行うべきだ、AVで南極ロケを敢行した先人を見習い本気で撮ったら凄いんじゃないか? 南極物語が当たったんだからいけるでしょ。ヒトも立派な動物でそら叩き逃したゴキブリの如く死に近寄ればヤっちゃうのは摂理。

 18分45分『ポーラX』上映、初カラックス完全にノックアウト、カラックスは本当に『ママと娼婦』が好きなんだな俺も大好きだよ。男1人に女2人ってだけで映画が出来ると証明してみせたそれら二本は、探偵モノの映画のように進んでさえすれば無関係なシーンを入れられると、つまり文学がスキャンダラスでなければならぬようにある種の映画における基準点を男1人と女2人で軽々と飛び越えかなり早い段階で指揮者となる権利を彼らは獲得したのだ。

 先日『じっくり聴いタロウ』に出演していたラブホテルの店員によれば男1人に女2人は滅多に見られず100組3Pの組があれば99人は男2女1だそうで。成程、現実からいってしてもそれだけで十分スキャンダラスだからリズムを自由に展開できるのか。自然光のバキバキにキマったショットの連打、城、丘、馬__デュラスの本人役がかなり良い。地下のロックバンドからユスターシュへのリスペクトを感じ三度流れるテーマ曲は三幕の合図になっている。俺は一体何を観ていたんだろうか? シネマブルースタジオ辺りでかかったら毎日通うだろうな。少女に手を振るう男、横になった少女に音が重なるショット。ラストの車へ飛び出す女、運転側のショット、ドンと鈍い音が移送される男に重なり__ゴダールを崇拝するだけあって音が滅茶苦茶良い、映画館で映画を観るべき最大の理由は音に他ならない。カラックスなら新文芸坐辺りでかかる気がするんで座して待つとする、『3-4x10月』以来だ無限に観ていたい映画は。是非観るべきだ、図書館に『ポンヌフの恋人』と『汚れた血』のVHSがあるんで明日は埃被ったデッキを繋いでみるか。

 22時 帰宅。入浴して『脳ベルSHOW』を観ながら夕飯。

 23時 Youtubeで『THE MANZAI』1980年と『北野ファンクラブ』の録画を観る。

 0時 ひたすらネットサーフィンをしながらハースストーン、無を貪るのも時には大切なのだ。自覚した上で無を摂取し嗜んでいるつもりだが立派な依存であることは間違いない。やめた方が良い。

バイトして図書館行って無線アンテナ交換して 2020-11-26

 7時 起床、3時過ぎに寝たからもう眠くてしょうがない。

 8時 出勤。最近の映画館通いによる慢性的な寝不足なもんでもう手の甲が痒くて仕方がない。が10時間以上寝てもこれまた怠くて一日が潰れてしまう、本当に睡眠だけは未だ攻略出来ずにいる。理想は2時寝10時起きだがバイトの日はどうする? 何も無い日に朝早く起きると結局午前中か15時前後に昼寝してしまうのでもうわからん睡眠難しすぎるぞ。

 12時 昼休憩、一旦帰宅し『新・座頭市Ⅰ』♯28 「上州わらべ唄」を観る。可もなく不可もなくな......殺陣はやっぱり良い。

 16時 退勤。猛烈に眠いがAmazonの荷物を受け取らなければ、録画した『ゴットタン』『勇者ああああ』『爆笑霜降りシンパイ賞』とか色々観る。

 18時30分 玄関で物音がする、確認するとAmazonの荷物が。別にベル鳴らして良いのに、置き配でも別にいいけども。

 19時 図書館へ。返却した本


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借りている本


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 ちゃんと頭からケツまで読んで返したの『南の島に雪が降る』だけだ、ラディゲはさっさと読み終わりそうなので次借りる。

 図書館で『離婚の準備手続きライフプラン』を読む、EDを隠されただのSMに一度付き合ったら本当に嫌なのに嫌よ嫌よもで迫られ離婚しただとか笑っちゃうんだけど笑えない。離婚ってめっちゃ大変らしいよ。

 21時 入浴からの夕飯。

 22時『脳ベルSHOW』視聴。

 23時 Amazonの荷物を開封、無線カードとオナホを買った。オナホは後日レビューするとして、とりあえず無線の接続をする。

 

バッファローの安アンテナが壊れ(2回目)いい加減消耗品として割り切るのもだるく余っていたネットギアの子機が下り0.5Mbps上り5Mbpsと使い物にならない&Bluetoothと混線するゴミだったんで少し値は張るが熱に強そうなヒートシンク付きを購入。懸念すべきは中華製ってことくらいで問題なく接続完了、TP-LinkのBluetooth子機が余ったんでメルカリで売るかな。


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 滅茶苦茶速い。Bluetoothも問題なし、机の下でも全然やれる子。


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 ケースが古すぎて嵌らずかなり焦ったが替えのロープロファイルブラケットが付属していたので問題なし。明日早稲田松竹で観るカラックスの『ポーラX』がかなり楽しみなんでさっさと寝るかな。

『めし』『驟雨』を国立映画アーカイブで観た 2020-11-25

 11時30分 起床。『あちこちオードリー』『月曜から夜ふかし』『マッドマックスTV』『かまいガチ』を観ながらビーフンを作って食べる。なんか冷蔵庫の調子が悪く豚肉から酸っぱい臭いがしていたけれど焼いたから大丈夫だろう。野菜もなんかしなっていた。

 13時30分 国立映画アーカイブへ出発。今日は成瀬巳喜男の二本立て。

 14時30分 NHKラジオ第二『まいにちフランス語入門編』を聴く。

 15時『めし』上映、原節子のベストはこれかもしれない。『晩春』程キマった訳でもなく柔らかい画に魅せられる。上原謙粗品を足で踏んずけた後に原節子のクロスカッティングが入った時もうヤバかった、成瀬も映画らしい映画作るから大好き。アニメ『BOYS BE…』の最終話で彼女に嫉妬した主人公が同じく感傷旅行に出かけて誤解に気付くという、これ『めし』だったんだな。元は何かしらの古典文学なんだろうけど。

 17時 有楽町のベンチで時間を潰す。

 19時『驟雨』上映。冒頭家での会話が続き退屈かと思えば映画の約束をした辺りで普通に『めし』を超えてきた。ラストで原節子がしっかりぶつかっていってからの紙風船、隣人のセリフで〆__めちゃんこ面白い。

 22時 帰宅、風呂に入って『脳ベルSHOW

観ながら夕飯。明日はバイトなんで早く寝ると。

『晩春』『麦秋』を国立映画アーカイブで観た 2020-11-24

 12時30分 起床。昨晩ブログを長ったらしく書きすぎた、眠い。牛丼をレンチンしてインスタント味噌汁で流し込む。

 13時30分 国立映画アーカイブへ出発。

 15時『晩春』恥ずかしながら初見の小津作品、もうびっくり仰天眠気が吹っ飛ぶ。映画的な異空間をバチバチのカットで展開しバストショットになると言葉で時代劇かの如く斬り合うヤバさ。小津批評がこれだけ多いのも納得する、言葉を尖らせ刺し合うのはまさしく批評のそれではないか。冒頭初めてのバスショットでもう泣いてしまいそうになる、それは演技をキャメラで捌いてみせた実に映画らしい映画でもうノックアウトされた。

 17時30分 有楽町の室内ベンチで休憩。

 19時『麦秋』上映。『晩春』があんまりにも神がかっていたんで拍子抜けしてしまい気が付くと数十分気絶していた。別に小津だから全部バチバチにキマってるって訳でもないのか。

 22時 帰宅。入浴して『脳ベルSHOW』を観ながら夕飯。

 23時『WBS』視聴。明日は同じく国立映画アーカイブ成瀬巳喜男の二本立て。

『ロケーション』『女咲かせます』を観て本を買った 2020-11-24

 7時 起床。朝食をとり昼に食べるおにぎりをつくる。

 9時 シネマヴェーラ渋谷へ出発。

 10時10分 到着。数分並んでチケットを購入し一旦退出して時間を潰す。

 11時 柄本明と山根貞夫のトークショー開始。『ロケーション』撮影を山根が見学した際に監督が二人居る! と驚き近づくと映画内のロケ隊だったという。これに柄本は自分らも本当のロケ隊なのか映画内のロケなのかわからなくなり、実際のロケ隊のように着替えずそのままの姿で寝て起きてまたロケ開始といった扱いをされていたらしい。それも森崎東の演出なのか? と盛り上がる場内。あっという間に終わってしまった。

 数十分の休憩を挟んで『ロケーション』上映。館内のトイレが混んでいるので一階のトイレを使おうと降りると入り口の前で柄本明を若い学生? らが取り囲み写真撮影をしていた。

 冒頭からかなりノっていたのだが、これは以前『カメ止め』を観た際と同じように笑わなければいけないという同調圧力のような空気を勝手に感じ取ってしまいラストの試写室で「わけのわからない映画」と叫ぶシーンでもう限界が来てしまった、あたかも我々はそれらを理解し笑い飛ばすことが出来るのだと宣誓するように飛び交う金切声に私はもう耳を塞いでしまいたいくらいで。

 これには根本的に笑いに対する価値観が相違しているのだから仕方ないことだ。私は基本的に笑いは暴力だと信じていて、つまりそれは反射的な笑いにすぎないのだ。もちろん落語のような笑いも大いに歓迎だが、それは大名人らの力量に依存するものであって下手な落語家ほど観客に「わかりましたか?」とすかしたギャグを何度も反復したがるものだ。理解した上で観客が笑わないことに彼らは何故気づかないのだろうか。

 ところが映画となるとどうだろう、特にカルト映画といったジャンルの映画やロマンポルノ、掘り出し物の傑作と謳われた映画に限ってある種の力学が発生してしまうのだ。笑いのコードに乗るか降りるか、そして彼らは互いの顔を見合わせた上でそれを決定するのだ。それらは明らかに連帯による馴れ合いの安心がもたらす笑いにすぎず私の求めるものとは対極に位置するのだ。

 先日国立映画アーカイブにてサイレント映画を鑑賞した時のことだ。私は伴奏のない咳と衣擦れの音が支配する空間で面白くもなんともないいつぞやのテレビで聞き流したつまらぬ芸人のギャグを思い出してしまい、噴出さぬよう自分を抑圧すればする程噴出してしまいそうになり、ついに声を漏らしてしまった。するとどうだろう、なんてことのない、文字の通り何もないシーンであるのにクスクスと笑いが伝播して行くではないか。これが強烈に面白かった、それは葬式や人に叱られている時に誰しもが経験する‘‘笑ってはいけない‘‘という意識に支配される瞬間__これこそが笑いの本質だと私は考える。

 随分と話が逸れてしまったが『ロケーション』におけるあの学校へ到着してから各々が撮影の土台を築いて行く連帯感の躍動、水着をかっぱらいトウモロコシを茹で__そして美保純が爆発するあの熱量ったらない。彼女は『気分はパラダイス』でビートたけしの横に座っているだけの名ばかり女優ではないのだ! しかし何故かノれなかった、朝なので仕方ないと割り切る。

 13時20分 外に出て適当なベンチでおにぎりを頬張る。

 13時55分 『女咲かせます』上映、冒頭で船に飛び乗りタイトルでもうバチバチにノった筈がいつの間にやら眠気に襲われもうダメになってしまった、自分でも何故だかわからない。泥棒裁きのシーケンスがあの駅までの繋ぎとしか機能していないと思われる程に私はもう萎えていた。「10分だけ待って!」から始まるベンチ越しの警官への告発「やりたくてやった訳じゃない」と叫ぶ、しかしこれまたどうもノれない。

 森崎東の権力への描写はかつてトリュフォーが『フランス映画のある種の傾向』において見事に言ってのけた「ブルジョワによってブルジョワのためにつくられた反ブルジョワ的映画」、この一文に尽きる。どうもTwitterを散見する限り映画のみならず政治に、権力に抵抗するポーズをとる連中が多すぎるように思える。それは松坂慶子がホークス的な身体性を纏ったとて隠しきれるものではないのだ。

 ラストになって気が付いたのだがスクリーンの左端が黒幕に覆われ切れてしまっている、クローズアップで進んでいくカットの頭で左端を桜の木の合わせていて、次のカットで一人一人画面左に捌けていくのだがこれでは台無しだ。少しレビューを観るとラストでアス比が変わるらしい? しかし明らかにあのショットは意図されたものであり青空娘のようなあの砂丘に登るシーンもその黒い縦線が気になって仕方がなかった、あれはどうしようもないことなのか、それとも劇場側の怠慢であるのかは疑問である。

 17時 ジュンク堂をうろつく。勢いで6600円もする『松本俊夫著作集成Ⅰ』を購入してしまった、明石海人の全集以来の高い買い物かもしれない。ついでに『ハリウッド映画史講義』の文庫を買った。

 19時30分 図書館へ行くも閉まっていた。『南の島に雪が降る』を読み終えた。

 21時 入浴と食事を済ませてゴロゴロ。

 22時 『脳ベルSHOW』を視聴。

 23時 『WBS』視聴。なんだかブログを長ったらしく書きすぎてしまった、明日は昼から国立映画アーカーイブに行かなければならないのに、さっさと寝る予定であったのに。もう少し映画のカロリーを減らしても良いかもしれない、もっと寝たほうが良い気がしないでもない。

『映像の発見=松本俊夫の時代』Ⅴ+トークに参加した 2020-11-22

 8時 起床。なんでこんな早く起きてしまったんだ、二度寝する。

 11時 目覚める。ビーフンを作って食べる。

 12時 池袋コミュニティカレッジへ。

 13時30分 『映像の発見=松本俊夫の時代』Ⅴ上映。長回しで数十分カットも変わらず延々と松本俊夫が問いに回答を続ける。たまに彼の実験映画を挟んでまた語る。

 16時30分 トークショー開始。監督の筒井武文、ジャズ評論家の泉秀樹、ムサビ教員榎本了壱のお三方。泉氏が何度も同じ話を繰り返すのを榎本氏がわざとらしい高笑いでごまかしていたのが印象的、もちろん内容はかなり濃いのだけれども。

 質疑応答で松本俊夫松本俊夫たらしめるものは何であったかと尋ねると、彼は大変明晰な人間で計算の上でカオスを演出し、その明晰故の弱点と映画における無意識らすべてを計算尽くであったとⅠ~Ⅳで彼自身が説明していた内容を反復した回答を頂いたが、私は数少ない前日の上映会参加者三人の内の一人なのだが。しかし最後に松本はフランス等の海外滞在中にLSDで感覚の拡張を行っていたとの回答を頂いた。これは大変貴重な証言で、勿論松本のモナリザ等サイケな実験映画の演出はもうみるからにソレそのものなのだが、私はそれすらも彼の計算の手中に収まっていたのではないかと内心冷や冷やしていたのだが、彼はしっかりLSDを摂取していたようで一安心。

 榎本氏は彼は非常に稀有な人物で、実験映画やったと思えば劇映画をやってと批判に晒されつつも活動を続けた、他の分野ではまず松本俊夫のような人物は居ないと言う。

 彼の言うように、そして先日の上映作品内でも説明されている通り例えばジャン・コクトーのように芸術ジャンルの横断はみられるが松本の場合のように思想の横断ともいうべきか、ただ小説も詩も監督も俳優もやる、というのではなく松本はただ映像内に限って縦横無尽に奔走する、しかしゴダールともまた違った__それらを‘‘時代‘‘の一言で説明してしまえば簡単なことだがしかし60年~70年代にかけて同時多発的にネオレアリズモを契機として映画の、映像の革命が巻き起こったことは非常に興味深い。榎本氏は口調が柔らかく場のムードメーカーのような役割を果たしており、好印象を抱いた。

 泉氏は何度も昔の映画好きといえばジャズ、演劇、小説、詩となんでも好きだった、それが映画好きというものだったと熱弁していたがビートたけしの20代前半のジャズ喫茶にたまるフーテン時代がまさにその時代で、実際彼の著書では私の全く知らないジャズミュージシャンの名前がいくつも載っていたりする(ビートたけしのみんなゴミだった)。前衛映画についても多少言及されており、浅草の下町っ子な側面とカウンターカルチャーの田舎者魂の両極にたけしは強い影響を受けたと記されている。

 19時20分 トーク終了。先日の上映会は参加者が私を含めて3名であったが本日のトークショーでは10名前後と中々の伸びに驚いたが、終了時に実は先日からの通し組以外は何かしらのコネがあると判明。Ⅴの上映途中に私の右隣に座って来た女子大生と思われる彼女は本作の監督筒井氏の務める藝大大学院のゼミ生であることが発覚。私はこれに絶望した、何故かの藝大大学院に通っておられる優秀な彼女が上映中にスマホの画面を幾度とチラつかせ、そして先日の上映会に参加することなない程度の低い意識の持ち主で、尚且つだるまの生まれ変わりのような母を連れて参加したとみられる。筒井氏は彼女を泉氏に「この子ゼミの教え子なんですよ、50年代のアングラ映画を研究しているので資料を見せて下さい」と紹介していた、彼女は丸眼鏡に黒のチョーカーといかにもそれといったコスチュームを身に纏うが、やはり根底はペテンであった。

 私は絶望した、真の探究者が先日の三人であるということに。我らはただ映画のファンらしく黙って帰るが彼女らは社交が目的でないか! 私は絶望した、私がまた零れ落ちてしまったということに。私はいつも網目から抜け落ち、社交の場に限らず、社会のある種の連帯体制、つまりは政治的な派閥から抜け落ちてしまう、いわば与太郎のようなポジションを知らず知らずの内に演じてしまっているのだ。

 私はあの名画座の、誰一人として、いや大多数が黙って一列に並び行進し分裂するあの名画座最終回の後のアスファルト道がなんと愛するに値するものかしみじみと乾燥しきった皮膚病の傷跡を抉るあの耐え難い風のように、私の性根を、実在を肯定し内包するのだ。そこには真の意味での、社交としての‘‘ゲーム‘‘を抜きにした連帯が存在している。私は一刻も早く愛する我が故郷へ帰りたいがための一心で帰宅を急いだ。

 21時30分 夕飯からの入浴。明日は朝からヴェーラなんで早く寝なければ。なんだか今日はかなりナーバースになってしまった、睡眠時間が不足しているのだろうか。

『映像の発見=松本俊夫の時代』Ⅰ〜IVを観た 2020-11-21

 8時 起床。今日は長丁場なんで大変だ。

 9時30分 池袋コミュニティカレッジへ。

 10時30分 西武の別館とアクセスに戸惑ったがなんとか時間に間に合った。2、30人は来ているだろうと思い部屋に入ると僕を含めて二人! みんなアテネ・フランセストローブ=ユイレに夢中なんだろうか? それともヴェーラで柄本祐の舞台挨拶に?

 12時50分 Ⅰ終わり、昼休憩にはなまるうどんできつねの中にトッピング3つは多すぎた、これが原因でⅡの冒頭少し寝た。

 21時30分 Ⅰ〜IV終了。Ⅰの冒頭でインスタレーションの貝を自分で拾ってきたとほのぼの長ったらしく語る松本俊夫がまさかIVの最後でしっかりあの創作物を映画に、神話的に収めてしまう手腕に唖然。中村嘉葎雄が楽屋で競馬に夢中になるのと同じように松本はただ語るがいざ映画となると途端に仕上げてしまう、凄すぎる。遺作の『偽装』然り『修羅』然りピカイチの劇映画を撮れる才能を持ちながらもそちらに行かないのはゴダールと共通しているがその辺りの絶望も語られていたので満足。映画の沈黙期間について迷っていると病気になり撮れなくなったと自分のことながら理路整然と語る松本俊夫の怪物加減よ。

 22時30分 帰宅。中々疲れたが明日もあるので早く寝なければ、月曜日はヴェーラで朝から柄本明トークに火曜は原節子ニ本と忙しい。